reminiscence
2009/05/17 極東の小さな国の、小さな町を流れる小さな川の畔の、小さな診療所で耳鼻咽喉科を開いていた父が、亡くなってから10年経つ。
私が青年期まで育ったその小さな診療所兼住宅も、母が老後を欧州で過ごすことを選んだ後は、長く空き家になっていた。昨年、浮浪者が住み着いて火事など出しては近隣に迷惑がかかると、取り壊すことになった。
診療の傍ら、歴程の同人として詩や散文を書いていた父は、かなり大量の蔵書を残した。詩人や芸術家から届いた私信も多く、それらの始末に困った。しかし歴史学者、柴崎力栄氏の親切なご助言で、日本近代文学館に寄贈して保存してもらう道があることを知った。
それは名案と、まとめて文学館に送ろうとしたが、私信を頂いた方々にはまだ生きている人も多い。ましてその家族はご健在である。今の時点では、うっかり第三者に引き渡せないものもあるかもしれない。それで結局、一点々々、私信を確認して、世に出て拙そうなものは処分するか、手元に据え置くことにした。
そのため、私の屋根裏部屋の書斎には、問題の私信類と、歴程同人をはじめ有名無名の詩人や文人達が送ってきた詩集の類が段ボールの山となって、広くはない空間を制圧している。
私信の確認は遅々として進まない。棟方志功から届いた年賀状が出てきたり、某詩人の痴話喧嘩にまつわる書簡が出て来たりと、つい手が止まってしまう。そうこうするうちに、とくに父の親しかった宇佐見英治や草野心平、辻まことといった人たちの、詩集や随筆をめくりはじめ、いつしか、久しく開いていなかった心の扉を押してしまうことになった。
発掘調査の民営化だとか、軍事史だとか、生臭かったり血生臭かったりする世界とは全く別の、静謐な森の中のような、しばらく忘れていた世界。
思いがけず蘇ってきた、詩人や芸術家たちの遠い記憶など、少しずつ綴ってみようと思う。ブログ名はまだ仮題。なかなか、思いつかない。ちなみに「樹と詩人」は宇佐見英治の随筆集から。